VSNAKEのピンクな日常

仕事とかのしがらみを全部放棄したパラダイスにしたい

雑感 - 7/22

とみ、ゲームレビューとか書評とかでみる「客観的な評価」という言葉が嫌いです。

 
数字が明確に出るようなものならまだしも、そう言ったものじゃない、感性に訴えるようなもので、客観的な、て、どう客観的なのよ、と。
「俺が思う客観的な目線の結果……」てな具合であれば、それは主観じゃねーの、と思う次第で。
「みんなの意見を総合した結果……」というのであれば、それは主観の平均値なんじゃないの?と。
主観の平均値が客観というのであれば、こんどは、「みんな」ってどこからとるの?という話になるんじゃないでしょうか。
「みんな」が全世界になるのか、国単位になるのか、狭いコミュニティの中になるのか、でまた意見の集合は変わってくるでしょう。
下手をすれば「私が想定しているみんな」となって、そもそも母体の選択に恣意性が含まれてんじゃないか、ってことになりかねない。
 
となると、何を持って客観的なのか、というのは、とかく使えばいいってものじゃなくて、その単語を裏付けするための丁寧な説明というかバックグラウンドというか、が必要じゃないの?と考えるんですね。
 
で、繰り返すように数字がカッチリ出るものならまだしも、ゲームやらの感想で「客観的な」という単語を聞かされたところで、どう客観的なの?と考えると、それは実は恣意性に満ち溢れてんじゃないかなあ、と思うのでした。
 
もちろん、先程数字がカッチリ出れば、と申し上げました。ただ、数字そのものは嘘つかないですけど、数字の使い方で嘘はいくらでもつけるので、その点についてもよく見ないといけないよね、とは強く感じます。
 
うん、これなんの話やねん。
 
結局、ゲームとか本とかのレビューとしては、「俺はこう感じたんだ!」という方が、実はものすごい役に立つんじゃないかと思うんだ。